「JI転車 で GO!」
○○○○ はじめに ○○○○
今日は天気もいいし、気温もサイクリングに丁度よい。
◎ルートの紹介 (トータル走行距離 39.5 km)
自宅→西武池袋線武蔵藤沢駅→県道8号線→宮寺南(国道16号線)→一般道から179号→カインズホーム→藤橋久保(都道63号線)→岩蔵街道(都道44号線)→岩蔵温泉→小曽木街道(都道28号線 )→新岩蔵大橋→岩井堂(都道195号線)→カインズホーム→西武線仏子駅→ 鍵山(国道299号線)→狭山サティ→ 国道16号線→上奥富(中)→ヤマダ電機狭山店→PCデポ→西武新宿線新狭山駅 → 県道50号線 → 入曽駅→自宅
向かったのは青梅市にある「カインズホーム」である。 国道16号まではいつものコースという感じ・・・。宮寺南を右折(道なりに)し、少々細い道に入っていく。道幅が狭いので車とのすれ違いが怖い。 やがて、179号に入り若干走りやすくなった。JR八高線の線路をくぐり直進する。岩蔵街道を少々行き過ぎ日立製作所を右折すると目的の「カインズホーム」である。
さて、次の目的地は「岩蔵温泉」である。
ここから、岩蔵街道に戻り、ひたすら北上する。圏央道の青梅インターを越え、さらに進む。
途中、すごい「家」が・・・、屋根に「金の鯱」。
一般の家でこれはないでしょう・・・・・。
少し、上り坂になりましたが、がんばります。「岩蔵温泉」に到着。
ここは、10年程前に「番頭ちゃん」と何度か来たことがあります。土曜日の子供達を学校に送り出した後、夫婦二人で訪れたことを思い出します。
なかなか、情緒のある宿が数件並んでいます。
今回は、温泉に入ることが目的ではないので、通り過ぎます。
ここで、岩蔵街道がおわり、小曽木街道に入ります。岩井堂という所で、道が2手に分かれています。まっすぐ進むと飯能市なので、右に曲がります。
だいぶ山の中に入ってきたという感じです。雲行きも怪しくなってきたので、急がなければ・・・・。
しばらくすると東京都と埼玉県の境があり、浅草・浅草寺観音発祥の地「岩井堂観音」が道沿いに見えてきました。
ここは埼玉県飯能市岩渕の成木川沿いにあり、以下のことが書かれていました。
『継體天皇の時代一人の旅の高僧が竜間ヶ沢にて修行の後、この地に尊像を安置したと、時がたち安閑天皇の時代にこの地に大暴風があり百雷もろとも、お堂が尊像と共に崩れ、成木川の濁流に呑み込まれ行方知らずとなる。
その後百年推古天皇の三十六年、隅田川にて三人の漁師の網に金色さん然と輝く尊像がかかる。
これまさしく在りし日の岩井堂観音なり、「これが浅草の観音様です」
これを聞きその返還を求むれどかなわず、改めて尊像を彫し安置し祀る。
昭和四十年お堂の改築を聞いた浅草寺管長清水谷大僧正は末寺善竜院の尊像を代わりに安置し、その奇縁をあらたにした』
とのこと。
このあたりは樹木が多く、時折風が吹くと冷気がさわやかにおりてきて、なんとも心地よいサイクリングです。
秋葉山七国峠入口を横に見て、八高線をくぐる。
駿河台大学が見えてきて、その隣が本日2件目の「カインズホーム」である。
ここで、買い物がてら休憩と買い物です。
これより西武池袋線「仏子」駅から西武新宿線「新狭山」駅を目指します。
ここからは国道16号線に入ります。
どんな名所・旧跡があるのか・・・。
それより、家電のほうが興味深々かも。
この16号線沿いには、「ヤマダ電機」「PCデポ」等々、林立しています。
今、価格で興味があるのは・・・・・・。
しかし、「秋葉原」にも最近行ってないなぁ(独り言です)。
見えてきたのは、狭山市の指定文化財・史跡である「清水八幡宮」(清水冠者義高終焉の地)。
ここの謂れは、
『入間川3丁目にある清水八幡は、清水冠者義高(しみずのかじゃよしたか)を祭神とする神社です。ここに同社があるのは、元暦元年(1184)4月、源頼朝みなもとのよりともが放った追手により「入間河原いるまがわら」で討たれた義高の死を悲しんだ入間川の里人が、その遺骸いがいを埋めて墓を築いたためです。
義高は源義仲よしなかの嫡男ちゃくなんで、頼朝の娘である大姫おおひめの婿となった人です。頼朝が自分の娘婿を殺害したのは義仲が後白河ごしらかわ法皇に背いたためで、朝敵の子をそのまま放置できなかったからと考えられています。
同人の墓が清水八幡と称されるようになったのは、入間川3丁目の八幡神社所蔵の『八幡神社縁起』によると、義高の死を哀れんだ北条政子ほうじょうまさこが手厚く保護したためで、立派な社殿が築かれましたが、応永9年(1402)に起こった入間川の洪水ですべてが押し流されてしまい、その後は成円寺じょうえんじ江戸時代まで現中央公民館の場所にあった寺院)に移されたとあります。
同社が現在地に再度移ったのは明治初期に同寺が廃寺になってから以後で、今の本殿は昭和34年(1959)に再建されたものです。その中には永享2年(1430)の石祠せきしが安置されていますが、これは江戸末期に近くを流れる赤間川から掘り出されたもので、そこには義高が入間川で殺害されたことなどが刻まれています。』
とのこと。
さて、さらに16号線を進みます。
そして、西武新宿線「新狭山」駅です。
ここからは、いつものなれた道である、一路家路へといそぎます。