年表 | 私[ザ・ツオンズ] | GS |
1967年 3月 |
3月20日 片口(ベース)・勝山(リードギター)・篠原(サイドギター)・田中(ドラム)・辰口(マネージャー)の中に私(セカンドギター)が加わる。(仕事仲間の三上の紹介にて) 練習はもっぱら片口家の納屋でやる。 当時のレパートリー2曲[ワイプ・アウト/津軽じょんから節] |
○前月(2月5日) 「僕のマリー」でタイガースがレコードデビュー。 ○ブルーコメッツ、「ブルーシャトウ」リリース、大ヒット。 ○バニーズ、「レッツゴー・シェイク」リリース ○スパイダース、「太陽の翼」リリース |
4月 | 4月 2日 高岡市民会館で行われた「第2回アマチュアエレキバンドコンテスト」にて優勝。 曲は予選に「ブラック・サンド・ビーチ」、決勝では「ワイプ・アウト」。 予選は第2位で通過、決勝は1位、 ゲストは「クール・キャッツ」であった。ドラムの迫力にはびっくりした。 夜、「小杉館(料亭)」で祝賀会。 |
○ザ・キャラバンがヴァンドッグスに改名。 |
5月 | 5月 7日 篠原、自衛隊入隊のためザ・ツオンズから抜ける。 |
○日劇ウエスタン・カーニバル(5/5〜12) 出演:ブルーコメッツ/バニーズ/タイガース/ワイルドワンズ/スパイダース/シャープ・ファイブ/尾藤イサオ他 ○タイガース、「シーサイド・バウンド」リリース |
6月 | 6月25日 「第3回アマチュアエレキバンドコンテスト」にて ブルーコメッツの前座として昼の部/夜の部共に出演。 アンプの位置が悪く、ドラムに聞こえづらかったためあまりうまくやれなかった。 レパートリー 47曲 |
○美空ひばり、ブルーコメッツをバックにしたGS調の「真っ赤な太陽」をリリース、大ヒット。 ○ジャガーズ、「君に会いたい」でデビュー ○カーナビーツ、{好きさ好きさ好きさ」でデビュー ○ゴールデンカップス、「いとしのジザベル」でデビュー ○ブルーコメッツ、「マリアの泉」リリース |
7月 | 7月 3日 キーボードとして浦野が入ってきた。 ボーカルの練習のため、マイクおよびブームスタンド各3台、50Wアンプ2台、エレクトーン購入する。 |
○ビーバーズ、{初恋の丘」でデビュー ○スパイダース、「風が泣いている」リリース |
8月 | 8月30日 黒河の盆踊りにバンド出演。 ザ・ベアーズのバンマス高橋さん(クールキャッツやプロのバンドから誘いのきていた人)にキング100Wを1台借用。まずまずの出来であった。 |
○ヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」リリース ○8月22日 「タイガース・ア・ゴー・ゴー」(大手町サンケイ・ホール) ○バニーズ、「悪魔のベビー」リリース ○スパイダース、「あの虹をつかもう」リリース ○タイガース、「モナリザの微笑み」リリース |
9月 | 9月 2日 高岡の***プールサイドで演奏。 ドラムの調子が出ず、まとまりがない・・ 9月 3日 商工会議所の屋上ビアガーデンに出演。 |
○寺内タケシとバニーズ、「レッツ・ゴー・運命」を発表 ○ワイルド・ワンズ、「青空のある限り」リリース ○ブルー・コメッツ、「北国の二人」リリース ○カーナビーツ、「恋をしようよジェニー」リリース |
10月 | 10月20日 池田公民館にてダンスパーティを開催。 元メンバーの篠原の兄貴が段取りをしてくれた。 |
○TBS「ザ・モンキーズ」放送開始 ○10月25日 テンプターズ、「忘れ得ぬ君」でデビュー ○スパイダース、「バン・バン・バン」リリース ○中村晃子、「虹色の湖}リリース ○バニーズ、「愛のリメンバー」リリース |
11月 | 11月 3日 「第4回アマチュアエレキバンドコンテスト」にて タイガースの前座として出演。 タイガースは東京で車の事故があり、トッポが飛行機に乗り遅れ出演できなかった。(これは今思えば、この当時からトッポが抜けるという前兆のような気がする・・) 楽屋でジュリーと写真を撮った。しかし、彼の強烈なファンの女の子にカメラごと持っていかれた・・、残念!。 11月19日 福野公会堂にて「寺内タケシとバニーズショー」の前座。 第1部−−バニーズ・第2部−−寺内タケシとバニースという構成。 この第1部と第2部の間で私たちが演奏。曲は「花のサンフランシスコ」他 夜、小杉講堂でダンスパーティに出演。約400人動員。演奏曲数73曲。 |
○バニーズ、「太陽野郎」リリース ○オックス、大阪で結成 ○モップス、「朝まで待てない」でデビュー ○ランチャーズ、「真冬の帰り道」でデビュー ○ハプニングス・フォー、「あなたが欲しい」でデビュー ○奈良のあやめ池のタイガース公演にファン殺到、けが人発生。 ○レオ・ビーツ、「霧の中のマリアンヌ」でデビュー ○NHK、「歌のグランドジョー」でタイガース出演分をカット。 |
12月 | 12月 3日 小杉講堂にてダンスパーティ。約700人動員。みんなあまり踊ってくれないのでやりにくい・・。田中(ドラム)の彼女が「真赤な太陽」をうたいかなり受けた。演奏曲数50曲+アンコール数曲 12月 4日 福光にてダンスパーティ。この時、地元のバンドとベアーズとザ・ツオンズの3つのバンドで開催。(ザ・ツオンズ一番人気) 12月25日 この日、専属となる 市民体育館にて東京から「ベガス」というバンドが来て共演。田中(ドラム)がツイン・ドラムを使用。約1900人入った。「ベガス」は6月にレコードを出すといっていたが、あまりうまいとは思わなかった。 12月27日 田中(ドラム)の会社で演奏。まあまあのギャラであった。 12月28日 北村電機の紹介である会社の忘年会に出演。 ギャラの為にやるのはおもしろくないなァ・・・。 12月29日 丸山ゴム工業で「ダンスパーティ」 まぁまぁ盛り上がったかな・・。 |
○ブルー・コメッツ・スパイダース・タイガースによる3大GSショー(日本武道館) ○ブルー・コメッツ、「ブルー・シャトウ」でレコード大賞受賞 ○寺内タケシ、「レッツ・ゴー・運命」でレコード大賞編曲賞受賞 ○タイガース、「君だけに愛を」をリリース。 沢田研二、指差しポーズでGS人気の頂点に立つ。 |
1968年 1月 |
1968年 1月 4日 池田公民館にてダンスパーティ 午後6時半より夜中の12時半まで。つかれター。 |
○日劇ウエスタン・カーニバル(1/15〜22) 出演:ブルーコメッツ/バニーズ/タイガース/テンプターズ/ワイルドワンズ/スパイダース/シャープ・ファイブ/カーナビーツ他 ○ジャガーズ、「マドモアゼル・ブルース」リリース ○フェニックス、「涙のシルビア」リリース ○ワイルド・ワンズ、「愛するアニタ」リリース |
2月 | 2月18日 ファッションショーに出演、放送局の紹介。 楽屋も客も女性ばかりでやりにくーい。約2000人の女の子。 |
○ダーツ、「ケメ子の歌」リリース ○ジャガーズ、「ファースト・アルバム」リリース ○ヴィレッジ・シンガーズ、「亜麻色の髪の乙女」リリース |
3月 | 3月28日 ジャズ喫茶「マリー」に出演。 専属の話があったが、雰囲気もよくなく話し合いの結果やめた。 |
○3月10日 タイガース、新曲発表会(日本武道館) ○タイガース、「花の首飾り」リリース ○ゴールデン・カップス、アルバム「ゴールデン・カップス・アルバム」発表 ○パープルシャドウズ、{小さなスナック」でデビュー、大ヒット。 ○スパイダース、「あの時君は若かった」リリース ○バニーズ、「太陽の花」リリース ○テンプターズ、「神様お願い」リリース |
4月 | 4月 7日 カーナビーツと共演、司会のうまさにびっくり。 勝山(リードギター)は12弦ギターを弾き喝采を浴びた。 また、制服がカッコイイといわれた。スポットライトはカーナビーツのボーヤにやってもらった。 4月16日 ・4月27日金沢公会堂にて「エレキ合戦」 ・4月25日〜6月25日までロータス(ジャズ喫茶)に出演契約 等々と予定が決まっていたが・・・・事情によりザ・ツオンズから抜けることになった。 |
○ゴールデン・カップス、「長い髪の少女」リリース、大ヒット。 ○タイガース主演映画、「世界はボクらを待っている」封切り。 ○ワイルド・ワンズ、「バラの恋人」リース |
ザ・ツオンズのこの後は以下のページです。
浦野聚治氏作のザ・ツオンズNEXT