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> 二人三脚 2002年 > 第20号(4月10日)
1985(昭和60年)4月10日 私の宝物のひとつ娘が生まれました。結婚後丸2年子どもが持てなかった私にやっと授かった赤ちゃん。(まさに授かった!)
昭和59年8月10日、妊娠を告げられた時「よかった〜」とため息混じりにウルッときた私に、産婦人科の先生も(この先生には息子も取り上げていただいた恩人です)「そんなに喜んでもらえたらこっちも嬉しいわ。」と言って下さいました。
この瞬間の感動は今もはっきりと覚えています。多分、一生、もしもボケたとしても誰か捕まえては話して聞かせている事でしょう。
8ヵ月後、昭和60年4月10日(水)予定日ピッタリに、赤ちゃんは産声を上げました。何しろ入院時子宮口は四指開いていて(子宮の入り口が指四本分開いている事)いつ、お産が始まってもおかしくないという状況。衣服を着替える間も無く、え?あれ?もう?あ!と、あれよあれよという感じで産まれてきてくれたのです。
助産婦さんの「お嬢ちゃんや〜」という声・・・感動。この声も多分一生忘れないでしょう。
こうして欲しくて欲しくてたまらなかった赤ちゃんが、見事にこの世に誕生したというわけです。
これだけ大切な赤ちゃんなのに、大切な赤ちゃんだから、主人も私も自分の正しいと決めた枠の中で育ててしまいました。でもそれは大切に育てたいと思ったからです。ただ、自分達の価値観でしか大切にする事ができないのです。
これは自己がはっきり芽生えた思春期の娘には、当然のことながら窮屈な事だろうと思います。親の枠から出る、という事はそれだけ大きくなる、という事なのだから「お〜よしよし、いいぞいいぞ♪」と見守ってあげなければいけないはずです。私がドーンと大きく構えられない時、本当に申し訳ないと思います。
以前、信頼する方から「コンペイトウ」の話をうかがった事があります。
コンペイトウのへこんだ部分が子どもの良い所(へこんでいて目立たない)。飛び出た部分がちょっとこまった所(とげのようでいかにも目立つ)とする。
親はつい、ピンと飛び出た部分を何とか無くそうと思うが、そんな事をしたら小さな球になってしまう。この飛び出た部分を充分認めた上でへこんだ部分をもっともっとう〜んと引っ張り上げてあげると大きな球になるのだよ。
この話は大好きで、ふとした時に思い出します。
最後に お嬢ちゃんへ
17歳おめでとう♪立派に高校2年生なりちょっとナマイキなあなたを見ていると、なぜか自分に自信が付いてきます。ありがとう♪
クラスが変わって、教室も変わって、又素晴らしい出会いがありますようにお祈りしています。真心を込めて自分を、そして周りの皆さんを大切にして下さい。 母より
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