ホーム >育自
> 二人三脚 2002年 > 第18号(3月9日)
(結婚20周年記念(3月27日)前編)
私は結婚に関するエピソードを話すと 必ずと言って良いほど「大恋愛ね」といって頂きます。恋愛に「大」とか「小」とか(じゃあ「中」も?)あるのかどうかは別として もしもあるなら「大恋愛」じゃありません そんなもんじゃない、「大」も「大」「特大恋愛」「特重恋愛」「特・・・」やめておきましょう。(あの・・・お帰りいただいても結構ですよ・・・)
店主は結婚前私に「愛しているよ」を連呼していました。当時良くこういう言葉を 恥ずかしげも無く口にできるなぁと感心したものです。(今思い返しても 感心します)
私は「そういうことを 軽々しく言わないで欲しい、どうせ結婚したら聞けなくなるんだから そうなった時悲しくなるから。」といったように記憶しています。すると店主は「そんな事は無いよ。ずっと言い続けるよ。」とこれまた よくもまぁこういう事を言っちゃうよなぁと 感心を通り越して“感服”です。
現在、もういつからか忘れてしまうくらい長い間 彼の口から『愛しているよ』という言葉は出てきません。この原稿を読んで聞いてもらってる時も もう笑い話でした。
はっきり言ってホラネ!っていう感じ。でも私は当時、聞けなくなったら淋しく悲しいだろうと思っていたはずなのに ちっとも淋しくないのです。このことはとっても意外な事でした。
私の両親が結婚20年の時 なぜかとってもすごい事だと思い、お祝いを用意し手紙も書き、すごく喜んでもらった事を 今でもはっきり覚えています。
その時「よく飽きないね〜」ときたんの無い鋭い質問をしてしまったことも・・・。
当時まだ10歳位だった私にとって たった1人の元他人と20年も一緒に生活するなんて信じられませんでした。今風に言えば『マジッスかぁ〜?』って気分です。飽きもせず、ずーっと、20年も・・・確かにマジッスかぁ〜です。
マジなんです・・・自分自身が結婚し たった1人の赤の他人と20年生活し続けて 今思うことは『飽きない』
人間は、また自分を取り巻く環境は 常に変化し続けているからなのかしら?「愛してるよ」と言ってもらってる時には 決して感じる事の無かった『愛』なのか・・・?
両親へのそれとも 子ども達へのものとも違う。もっと言えば両親から感じていたものとも違う。なんなのでしょう、これが『夫婦愛』ってヤツなのでしょうか?
奇麗事だけでは語れない『愛』
私が母を亡くした時 残された父や妹との関係では感じなかった何かを強く感じました。私を励ますでもなく、いつもより優しいとか厳しいとかそういうものではなく、
ただただ、じーっと待ってくれた 私の気持ちが落ち着くのを、ただただじーっと ずーっと待ってくれたのです。
「愛してる」って最近 言わなくなったのは
本当にあなたを 愛し始めたから・・・・・「ゴスペラーズ/ひとり 」より
私たちは、また明日から いえ今から一歩一歩 前へ前へ新しい歴史を築いていく事でしょう。
Copyright (C) M.Terawaki |