ドタバタ通信 第10号(1990・5・15) |
★はじめに
暦の上ではもう夏です。第9号を発行してから、春はどこへ行ってしまったのでしょう。世間は初夏の陽気です。さぼりにさぼった編集長兼お母さんは春眠から目覚め、一発気合を入れてしまおう!というわけで第10号です。―――母―――
★いろーんなことがあった『春』
・・・門出編・・・
4月10日、お姉ちゃんは幼稚園(年中組)に入園しました。「お母ちゃ〜〜ん!ゥワァ〜〜ン」と泣きまくって、てこずらせ、幼稚園時代をすごしたお母さん。そのひとり娘が、毎日お友達と誘い合って楽しそうに通園している。
お弁当はもちろん給食だって毎回ペロリと食べてくる。そのスピードも先生のお話では「人並みです」ということなので心配事は無くなった。もしかして何かの間違いではないだろうか?夢か?夢なら覚めないでいただきたい・・・。―――母―――
――ドタ――4月のある日、驚いている私に妹が『あやちゃんがあたりまえ、お姉ちゃんがおかしかったのだ』と言いました。彼女の子どもが生まれ登園拒否をしたあかつきには『うちの子があたりまえ、この子はおかしい。』と笑ってやる。―――もう1度母―――・・・おっどろき編・・・
2月28日から3月6日までパパの大阪出張。それに便乗して帰省。この間の3月3日は実母のお誕生日というわけで、私は子ども達を連れて実家へ遊びに行きました。驚いた事に、この日お姉ちゃんがお泊りしたいと言い出した。「ひとりでもお泊りする」と決意は固い。ビックリしつつ、どうせ気が変わるだろうということと、実父も「たとえ真夜中でも泣いたらつれてってやる」と言ってくれたし(幸い両家の実家間は車で30分くらいの距離)とりあえず私は息子と実家を後にした。
なんと、何事も無く一夜が明けこちらからの「迎えに行くよ」TELにも「まだ帰りたくない」というつれない返事。私は目が点。何しろ私は子どもの頃、親元から離れる事は悲壮以外の何物でもなかったのだから。
結局私の妹が動物園に連れて行ってくれ、夕食もお風呂も済ませ私達の所へ戻ってきたのは24時間後。こんなに長く顔も見なかったのは初めて!ほんの少し成長した母でした。―――母―――・・・帰省編・・・
2月28日から3月6日まで大阪出張に便乗しての帰省は(第9号でもふれましたが)リッチに新幹線の個室で往復。でもリッチだったのはそこだけ。悪夢のような中央線。まっ、行きは良かったネンネしてたし、問題は帰り・・・東京駅から新宿までグズグズ。
周りからは“小さな子2人も連れて大変そうね・・・。”のヒソヒソ声と同情のまなざし。それを受け冷や汗がジョ、ジョ、ジョーッ・・・絶対車でしか帰省はしない!息子を連れて電車には乗らない!と心に決め5月3・4・5日の帰省は車にしたのでした。
それにしても東京〜大阪間ってつくづく遠いぜ。姫ゴリラと豆ドラゴンを連れて行くには遠すぎる・・・。今度は暑い夏か・・・。今から気が重い・・・。―――母―――
――バタ――ねぇ〜お母さん、春の遠足は井の頭公園だけど、たぶん電車だよ・・・。―――長女―――
井の頭公園!吉祥寺!!中央線!!!クックックッ・・・―――長男―――
・・・・・マジ!?―――母―――・・・成長編:その姉・・・
4月10日お姉ちゃんの入園式と同時に満5歳になりました。体つきも顔つきもいつのまにか幼さが消えチョッピリお姉さんの仲間入り。でも不思議な事に幼稚園の園服を着るとガタっと幼くなって可愛いのです。―――母―――
――ドタ――5歳ってビミョーな年頃なのよ―――長女―――・・・成長編:その弟・・・
▼今まで自分の訴えたい事には指をさして「あっあっ」と言っていた(だけ)。今頃では、相手の手をひき目的地まで連れて行く――エライッ!
▼今までティッシュペーパーは食べ物だと信じていた、なんと花をフンフンとかんでゴミ箱にポイした――エライッ!
▼タンポポの綿毛をプ〜ッと吹く飛んでいるのは“よだれ”の方で綿毛は飛ばないけれど、その口を尖らせたしぐさが――キャワイ〜イッ!
▼芸と言葉数に乏しい彼だが、バイバイ・バンザーイ・はい!(左手を上げる)・パーパーパ(アンパンマンの意味)をしたり、言ったりできるようになった。――エライッ!(少しネ)
▼なぜかお姉ちゃんの語りかけにだけ「うんうん」とうなづく。――キャワイ〜イッ!
▼自動車のおもちゃにまたがり前進できるようになった。――エライッ!けど靴が傷むよう・・・
▼上の歯が七本なのに、下の歯は何とまだ三本。――なんじゃこれは?
▼おっぱいを飲み終えいらなくなったらないないできる。――エライ!&キャワイ〜イ!
▼お姉ちゃんとパパを覚えた、なのに「お母さんは?」と聞いても無視!。「自分と一心同体だからよ」と慰めてもらったけれど、教えなければいったいいつまでいらずにいくだろう。これもまた、面白い――よ〜し教えてやらないぞ。
▼ピストルを見ると、バンバンという。めがねのおもちゃは鼻にかけようとする。
▼お姉ちゃんの園帽を見ると、自分でかぶったり、かぶせたりする。――キャワイ〜イッ!
▼外に出たいとき、私を玄関に連れて行き「じゅっちゅ、じゅっちゅ」という。クック(靴)のことらしい。――キャワイ〜イッ!★相変わらず、くっつきコンビの姉と弟。
幼稚園から帰ってくるお姉ちゃんをお迎えに行った帰り、私の手を振り払いお姉ちゃんの袖をしっかりと握っている弟君。食事のときも私からよりお姉ちゃんから食べさせてもらう方が素直にあ〜んしている。自分のお皿の物よりお姉ちゃんのお皿に手を伸ばす。そんな弟君がやっぱり大好きなお姉ちゃん、何かというとくっつき虫している二人、うらやましい限りです。―――母―――
――バタ―― ねぇ〜―――長女―――
ねぇ〜―――長男―――★お母さんの大決心
お母さんは、僕がもうおっぱいいらないって思う日がくるまで、ず〜とおっぱいをくれることにしたんだって。ついこの間まで、「いつまでおっぱいあげていよう」「いつおっぱいやめよう」なんて物騒な話をしていたんだけれど、最近になって「自然に離れるまでいつまでも飲んでな」っといってくれた。いつまででもだよ!、うれしいなァ。ぼくのおっぱいなんだもん、僕が決めるんだ。最初にして最大の決断は僕自身で下す。その時期や方法も僕が決める。―――長男―――
第9号でも、触れましたが、断乳の時期を考えあぐねていました。そんな折出会った「母乳この素晴らしき出発」メディカ出版。35mmの分厚い本、本の内容は、母乳育児を楽しむ方法が書かれているのですが、その中で、
『医学専門の分野に携わる多くの人は、いつお乳を飲むのをやめるかを決めるのは子ども自身であると強く感じています。他の社会では三〜四歳、或いは五歳の子どもがおっぱいを吸うのに寛容です。というのは、この年齢の子ども達には単に栄養の面からだけでなく、精神的な支えが必要なことが判っているからです。そして実際こんな素晴らしい関係を突然断ち切って得るものがあるのでしょうか・・・略・・・。
なぜ、強制しなければ赤ちゃんはお乳を止めようとしないと決め付けてしまうのでしょうか。母親の愛情と理解に包まれ正常な家庭環境に育った子どもなら遅かれはやかれおっぱいから離れていくのではないでしょうか・・・略・・・。
忙しく成長している子どもに大切なのは母親の下に駆け寄ったときの「おっぱい休憩(タイム)」です。大人にコーヒーブレイクのような休息のひと時が必要なように子どもにも「おっぱいブレーク」があってもよいでしょう・・・略・・・。「それでもいつになったら乳離れするのかしら」二歳になる我が子が「抱っこして、おっぱい頂戴」と両手を差し伸べてくれば、貴方はこうたずねたいでしょう・・・略・・・。
私たちを取り巻く今日の文化は全て赤ちゃんが早く乳離れした方がよいと考えるようになっています。しかし、何世紀も昔からこうだったわけではありません、かつては三歳ごろ乳離れすることは良くあることでしたし、今日でも世界のあちこちで見られます・・略・・・。
「歴史の中のどの時期においても世界中のほとんどの国でほとんどの赤ちゃんが二年から四年は授乳されていた」と指摘されています。三〜四歳というと、乳離れする時期として私たちのほとんどが考える年齢より随分上かなっという感じですが、時や場所が変われば、不思議ではないのです・・・略・・・。
赤ちゃんが欲しがっていないのにお母さんが無理にお乳を続けることは出来ません。全ての赤ちゃんが遅かれ早かれ乳離れしていくことは疑いのない事実です。長くお乳を飲んでいたために精神的な弊害が生じるということを示す観察記録や研究はかつてありません。このこととは反対にお乳を与えなかったり、早い時期に母子の関係を断ち切ってしまったために生じる問題は沢山あります・・・略・・・』(分厚い本より)
こっこっこれだ!。
そうなんだよ、お姉ちゃんのときもこういう事を思っていたんだよ、主人の父も、父が小学校に入学した頃は、まだ、おっぱい飲んでたきがすると話してくれた。そうだ、そうなんだよ。もう何でも食べている。牛乳だってグビグビ飲んでいる。そんな息子だって、いやっ、そんな彼だから、チョットした元気のもとにおっぱいがいるんだよ。
指やおしゃぶり吸うのと同じ、安心感なんだ。そういえば、一歳六ヶ月まで、おっぱい飲んでいて、そのあとも私がいないとねんねできなかったお姉ちゃんは、現在指もおしゃぶりもその他何にも無くてもねんねできるもん。私がいればいいのだよ。これは母親として、最高じゃんか。断乳なんて言葉、大意嫌い!。おっぱいやめるのなんかやーめたっと。あ〜スッとした。―――母―――★初めての母の日
今までの母の日(父の日)は、私から両母(父)へ感謝の気持ちを送るというパターンでした。ところが私も今年からは贈られる立場となったわけです。
十二日(土)園からの帰り道、お姉ちゃんはにっこりしながら「これは明日のお楽しみ」といってピンクのものをちらりと見せてくれました。彼女の話では「お母さんの顔」なのだそうです。先日、「明日、お母さんの顔を描くから、『よ〜く顔を見てきてください』っと言っていた。」といって私の顔を穴があくほど見ていたっけ。
いよいよ、十三日(日)、朝起きるや否や「お母さん見せてあげる」っと隠していたピンクのものを出してきた。赤いリボンのついたピンクの画用紙で作った額縁つきの絵。少しよそ行きみたいな絵、いつも家で描く絵とは違う。私の宝物が一つ増えました。夕食のしたくの時には、野菜を切ること・ベーコンを切ること・野菜をゆでることをやってくれました。母の日なので、お母さんのお手伝いをする。というのがその理由!。イャッー本当にありがとうございました。―――母―――★おわりに(2002・06・02 追記)
1990年、もう12年も前の事・・・さすがに忘れている事が多い。子ども達の毎日の何気ない、些細な事、見過ごしてしまうような事が、この「ドタバタ通信」を打ち直すことでまざまざと(はちょっとオーバーだけど)蘇ってきました。段乳の決心も・・・懐かしい思い出です。
子どもの心配ごとでくたびれた時、ふと赤ちゃんの時の写真や、ちょっとした日記など、眺めてみるのもいいかもしれません。“あの時はよかったなぁ〜”ではなく、生まれてきてくれて、そして今も元気でいてくれて本当にありがたいな。と思うために、自分に元気を取り戻すために・・・。―――母―――